ポール・セザンヌかくかたりき

図形とアイマスKRとその他

森田童子は優しかった


森田童子が死んだ。
森田童子さんが亡くなった。
童子が逝ってしまった。

どんな書き方をすればいいのかわからない。
僕にとって、彼女はそういう存在なのだ。

彼女の曲がとても好きだ。
でも、彼女の死はとても遠いことのように思える。
早くに表舞台を去ったことやプライベートな情報が少ないことによるのだろう。
ただ、歴史上の人物の死を語るように、遠い話のような感覚がある。

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森田童子は詩人だった。
彼女の言葉選びはいつでも生々しく、少しだけ風化したような色のままあり続ける。
セピア色のプリザーブドフラワーのような、そんなイメージがある。

森田童子は優しかった。
彼女の歌はいつだって憂鬱に寄り添ってくれる。
暗い部屋の中でも、晴れた春の日差しの中でも、そういう風にある。

ただ漠然とある憂鬱や、理由もない悲しみ。
そういうものを理解して、表現する人だと思った。

子供の頃から死という何かが心のどこかに貼りついている僕には、
「たとえばぼくが死んだら」は心をふわふわと漂い続ける雲のような曲だ。

たとえば漠然とした悲しみに自分の心が切り裂かれる時も、
たとえば忘れ得ぬ人に想いを馳せる時も、
僕にとって森田童子の曲は一種のトリガーのような役割で映像を映し出すものだ。

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始めて森田童子の楽曲に出会ったのは中学3年生の頃だった。
推薦入試で高校進学を決めて、長い暇な時間をピアノを弾きながら過ごした。
70'sフォークソングの弾き語り用楽譜に、「みんな夢でありました」が載っていた。

その時はよく知らなくて、ただ「そういう曲がある」と思った。

最初にまともに聴いたのは高校生の頃だった。
卓球選手として一輪の花も咲かなかった挫折から情熱を失った僕に、
「ぼくたちの失敗」が、そっと寄り添ってくれた気がした。

大学生の頃にはとてもよく聴いた。
CDを借りてきて、小説を書きながらずっと聴いていた。
思えば僕が描きたい世界観は、森田童子からの借り物だったのかもしれない。

今でも森田童子の唄をよく聴く。
つい数日前に、「たとえばぼくが死んだら」を基にイラストを作っていた。
イメージ 1

たった数日後に彼女の訃報を受け取るとは思っていなかった。
とても不思議なものだと思う。

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僕は春が嫌いだ。
青々とした木々の葉も、淡い色の咲いた花も、真白に光を照り返す。
すべてが原色になって、すべての場所が遠く見える。
色々なものを失ってしまったような気分で道の先を眺める。

だから、森田童子は僕にとって春なのだ。

そんな彼女が春に亡くなったことに想いを馳せる。

彼女のご冥福を、遺族の皆様へお悔やみを。
彼女の人生が幸多きものであった事を願います。